顧氏関連

2018年8月16日 (木)

陸凱の顧承讃

『初学記』に引く『呉先賢伝』の中に顧承の讃がある。『呉先賢伝』は陸凱の書なので、陸凱が顧承の讃を書いたということになる。

『初学記』巻十七

《吳先賢傳 奮武將軍顧承贊》曰:于鑠奮武,奕奕全德;在家必聞,鴻飛高陟。

維基文庫より引用

現在残っている逸文を見てみると、顧承のことを奮武将軍と呼んでおり、『呉志』がいう奮威将軍とは異なる。これに関しては陸遜の荊州牧みたいな例もあるので『呉先賢伝』の間違いとは言い切れない。

※陸遜は、陸雲の誄や建康実録では郢州牧とされている。→建康実録の陸遜

顧承の他には揚州別駕從事だった戴矯や上虞令史胄という人物の讃もあるようなのだが、戴氏と聞いて思い浮かぶのは戴若思の一族。だが彼は広陵の人だという。陸凱の弟・陸胤に『広州先賢伝』という書があるのを見るに、『呉先賢伝』の呉とは国ではなく地域(おそらく呉郡)を指すのではと思うので、呉郡の戴氏がいたのかもしれない。

少し気になるのはどこかの過程で張承と顧承を間違えたわけじゃないよなという点なんだけど、張承は呉郡の人じゃないし、『呉録』にも子黙・子直(なぜか字表記)の評判は当時すごかったぜ!みたいに書いてあるし、陸凱が顧氏の人物を称えるのはおかしなことじゃないし、そう警戒しなくても大丈夫かな。
実は違う顧承の可能性もなくはないけれど、陸凱が生きていた時代に存在し将軍号を得た呉の顧承は子直であると考えて良いと思う。

顧承は残っている記録が少ないからこういうのを見つけると安心(?)する。生きとったんやな…。

2018年8月 2日 (木)

顧譚&顧栄

『太平御覧』に引く『晋書』の顧栄についての説明に「少有珪璋」という文言があって、『顧譚別伝』でも同じような言い回しで顧譚のことが説明されていたことを思い出した(「有圭璋」)。

『太平御覧』巻三百八十九 人事部三十

《顧譚別傳》曰:譚字子嘿,吳人。常慕賈誼之爲人,身長七尺八寸,少言笑,容貌矜整,有圭璋,威重,未常失色于物。非其人,或終日不言。

維基文庫より引用
『太平御覧』巻二百二十一 職官部十九

《晋書》曰︰顧榮,少有珪璋,符采朗澈,仕吳,弱冠舉賢良,爲黃門侍郎。當時後進盡相推謝,稱榮有天才令望。

維基文庫より引用。文字化け部分は中國哲學書電子化計劃を参考に補った。

表現として珍しい言葉ではないのだろうけど、従兄弟である二人のちょっとした共通点を発見して面白かった。
辞書を引くと「人柄の上品なことのたとえ」と出てくる。二人のイメージとして何となくわかる気がする。
顧栄はもちろん顧譚も杓子定規なイメージはあまりなくて、理由は親の服喪に関する意見や太子と王に関する上疏などを読んだときになるべく損をする人が出ないように考えてるのかもという印象を抱いたから。

2018年7月29日 (日)

宣太子の元四友

顧譚と張休は共に孫登の四友となって以来の付き合いで、四友は同じ場所で眠るなど、皆親しく交わったと記されている。
おおよそ20年近く交流が続いた友人同士であったのだろう。
それゆえ顧譚にとっては弟・顧承の問題にとどまらず、付き合いの長い友人・張休の問題でもあると認識されたのだ。だから、弟だけを許されたところでそれでよしとは顧譚には思えなかったのである。



前の記事で書いた陸機作顧譚伝について、陸機にとって顧譚は伝を作るにあたり情報を集めやすい人物だったのかもなーと思った。
顧栄(や彼の父親)をはじめ、もしかしたら実父・陸抗からも何か聞いていたかもしれない。と思うとわくわくするな。
陸機作顧譚伝の全文が発見されないかな。

2018年7月20日 (金)

陸機が書いた顧譚伝

陸機の顧譚伝は『呉書』裴注に引かれたもの。
もう一つの「呉太常顧譚誄」は10文字そこらの一部分しか残っていないようだけど、漢詩が読めない私の印象で言うと、キラキラごてごてした文章じゃないので誄じゃなくて陸機作顧譚伝の一部なんじゃないかという感じがする。ただ、顧譚誄に序などがあってそこから引用された可能性もあるので何とも言えない。陸機は呉の人たちの誄を他にも残しているから顧譚のためにだって作っていても不思議ではないし。

この顧譚伝は陸機が作ろうとしていた呉書の一部なのか、それとも別個の、顧譚のために書いた私的なものなのか、どうなんだろうなあ。裴注に出てくる陸機が書いた○○伝は顧譚のだけというのも気になる。
個人的に後者なら面白いと思う。顧譚は陸遜の外甥で陸抗とは従兄弟関係だから陸機にとってもわりと近い親戚だし、姉の夫である顧栄も顧譚とは従兄弟だし、筆を執っても不思議じゃない気がする。(名誉回復的な意図もあるかもしれない?)

それと顧譚は『顧譚別伝』というものが逸文で残されているけど、これは陸機作顧譚伝と異なる作者によるものなのかな。いろいろ書いてもらえて良かったな~こたんたん!

2007年1月10日 (水)

顧邵、顧譚、顧承の血

顧雍伝附顧邵伝には「舅(おじ)の陸績」と書いてある。つまり顧邵は陸績の姉妹の子。
の息子である顧譚・顧承兄弟については「陸遜の外生」「舅(おじ)の陸瑁」という言葉が出てくる。これらは顧兄弟が陸遜・陸瑁の姉妹を母に持つことを示すと思われる。

顧邵は陸氏(陸績の姉妹)の息子で、さらに陸氏(陸遜・陸瑁の姉妹)と結婚して子供(顧譚・顧承)をもうけた。

もしそうだとすると、あの兄弟、陸家の血いっぱいやん。
後には顧雍の孫・顧栄も陸抗の娘を娶ったとされているし、顧栄の父・顧穆が陸氏の子だとするとすごいことになる。もしかしたら顧雍自身にも陸の血が入っている可能性も…?