陸凱の顧承讃
『初学記』に引く『呉先賢伝』の中に顧承の讃がある。『呉先賢伝』は陸凱の書なので、陸凱が顧承の讃を書いたということになる。
『初学記』巻十七
《吳先賢傳 奮武將軍顧承贊》曰:于鑠奮武,奕奕全德;在家必聞,鴻飛高陟。
維基文庫より引用
現在残っている逸文を見てみると、顧承のことを奮武将軍と呼んでおり、『呉志』がいう奮威将軍とは異なる。これに関しては陸遜の荊州牧みたいな例もあるので『呉先賢伝』の間違いとは言い切れない。
※陸遜は、陸雲の誄や建康実録では郢州牧とされている。→建康実録の陸遜
顧承の他には揚州別駕從事だった戴矯や上虞令史胄という人物の讃もあるようなのだが、戴氏と聞いて思い浮かぶのは戴若思の一族。だが彼は広陵の人だという。陸凱の弟・陸胤に『広州先賢伝』という書があるのを見るに、『呉先賢伝』の呉とは国ではなく地域(おそらく呉郡)を指すのではと思うので、呉郡の戴氏がいたのかもしれない。
少し気になるのはどこかの過程で張承と顧承を間違えたわけじゃないよなという点なんだけど、張承は呉郡の人じゃないし、『呉録』にも子黙・子直(なぜか字表記)の評判は当時すごかったぜ!みたいに書いてあるし、陸凱が顧氏の人物を称えるのはおかしなことじゃないし、そう警戒しなくても大丈夫かな。
実は違う顧承の可能性もなくはないけれど、陸凱が生きていた時代に存在し将軍号を得た呉の顧承は子直であると考えて良いと思う。
顧承は残っている記録が少ないからこういうのを見つけると安心(?)する。生きとったんやな…。