資料・メモ

2008年11月 7日 (金)

実録メモ(その他)

 (滕)胤字承嗣。父冑,能屬文,太祖待以賓禮,軍國書疏,常令損益潤色之,早録其功,封胤爲都亭侯。
 胤爲人厲行,有威儀,容止可觀。毎正朔朝會,大臣見之,皆歎重之。年三十,起家中郎,累遷丹楊太守,尋轉會稽太守。毎斷獄訟,察言觀色,務盡人情理。有窮厄悲苦之言,對之流涕。
 太元末,與諸葛恪受遺輔少主,恪毎出征,胤常居守,統留後事。胤白日接客,夜省文書,連夜不卧。孫峻輔政,封高密侯,至是遇害。


( )は自分の補足

2008年11月 1日 (土)

実録メモ(東晋2)

 (陳)敏字令通,盧江人。少有幹能,補尚書倉部令史。趙王倫簒逆,義兵乏食,以敏爲廣陵度支,令漕運江、淮,以濟中州。屬張昌亂,使石冰趍壽春,都督劉準與敏謀破冰等,以功拝廣陵相。時在惠帝西遷,四方交争,敏遂有據江東之心。

 (周)玘字宣珮,征西將軍處長子。性剛毅沈斷有父風,而文學不及。閉門潔己,不妄交遊,士友咸望風而敬憚焉。州辟爲從事,虚己備禮,方乃應命。除議郎。
 太安初,妖賊張昌、丘沈反於江夏,惠帝使監軍華宏討之,不尅。玘密結南平内史王矩,及江東人士同起義兵,破昌、沈。既畢,玘不言功,散衆還家。及陳敏據揚州,與顧榮、甘卓等謀擒敏。瑯琊王初鎮江左,以玘爲倉曹屬。
 呉興人錢璯謀反,玘率合郷里義衆,與郭逸討之,傳璯首於建鄴。玘三定江南,開復王略,王嘉其勳,累拝建威將軍、呉興太守。……(これ以下メモし損ねた)


( )は自分の補足
いずれ周玘の記述の補完をしたい。とりあえず次は甘卓だー

戴淵・紀瞻・顧栄はこちら→東晋1

2008年10月16日 (木)

実録メモ(呉末期2)

 (范)慎字孝敬,廣陵人。性多純直,竭忠知己之君,纏綿三益之友,時人貴之。自侍中出爲武昌左都督,治軍整齊。後主將遷都,甚憚之,拝太尉。慎恨久爲將,老耄請還,軍士戀之,隕涕而別。


 (周)處字子隠,義興陽羡人。父魴,鄱陽太守。處少孤,未弱冠,膂力絶人,好馳騎田獵,不修細行,縱情肆欲,州里患焉。處聞之,慨然有改勵之志,謂父老曰:「今時和歳豐,何苦不樂?」父老曰:「三害未除,何以爲樂!」處問之,答曰:「南山白額獸,長橋下蛟,并子爲三害。」處曰:「若此吾能除之。」乃入山射殺猛獸,又投水搏蛟,蛟或浮或沈,行數十里,處與之俱,三日三夜,人謂已死,相賀。處殺蛟而返,聞郷相慶,始知人患己甚,乃入呉尋二陸學問。時機不在,見雲具以情告:「欲自修改而年已蹉跎,恐將無及。」雲曰:「古人貴朝聞夕改,君前途尚遠耳。且患志之不立,何憂名之不彰!」遂勵志。
 有文思,心存義烈,言必忠信尅己。朞年,州府交辟,仕爲東觀令。累遷太常,出督無難。



 (吾)彦字士則,呉郡人。出自寒微,有文才。身長八尺,手格猛獸,膂力絶羣。初爲通江吏。時平南將軍薛珝杖節南征,軍容甚盛,彦觀之,慨然而歎。有善相者劉礼謂之曰:「以君相貌,後當至此,不足慕。」
 少起家爲小將,大司馬陸抗奇其勇畧,抜用之,患衆情不允,乃會諸將,密使狂人挾刀跳躍而來,坐上諸將懼而奔走,唯彦不動,舉几禦之,衆服其勇,累遷建平太守。

( )は自分の補足。
濮陽興・王蕃・賀邵・華覈・歩闡はこちら→呉末期1

2008年10月 4日 (土)

実録メモ(陸氏)

 (陸)玩字士瑤,呉郡呉人也。父英,兄曄。曄與玩少有雅望,從兄機毎稱之曰:「我家世不乏公矣!」曄位尚書。玩器量淹雅,元帝引爲丞相参軍。時王導初過江左,思結人情,求婚于玩。玩對曰:「培塿無松柏,薰蕕不同器。玩雖不才,義不能爲亂倫之始。」導乃止。玩嘗詣導食酪,因而得疾。與導牋曰:「僕雖呉人,幾爲傖鬼。」其輕易權貴如此。
 明帝卽位,累遷,進位侍中,以疾辭,後進吏部尚書,又讓不拝,轉尚書左僕射。蘇峻反,玩潛説匡術,以苑城歸順。賊平,以功封興平伯,除尚書令。玩自辭讓,詔優答不許。尋而王導、郗鑒、庾亮相繼而薨,朝野咸以爲三良既没,邦國殄瘁。以玩有德望,乃遷侍中、司空。玩既不得已受拝,退謂賓客曰:「國家以我爲三公,是天下無人也。」談者以爲知言。玩友人詣玩,索盃酒,瀉置梁柱間,咒曰:「當今乏材,以爾爲柱石,莫傾人梁棟耶!」玩笑曰:「戢卿良箴。」
 玩雖登公輔,謙讓不辟掾屬。成帝勸之,玩不得已,而所辟皆寒素有行之士。性通雅,不以名位格物,誘納後進,謙若布衣,搢紳之徒皆廕其德。後疾篤,上表乞骸骨,薨,時年六十四。詔給兵千人,守冢七十家。子始嗣。


 (陸)抗字幼節,丞相遜嗣子,桓王外孫。年二十,襲封江陵侯,累遷立節中郎將。赤烏中,自完城與諸葛恪換屯,屯柴桑。抗臨去皆更繕完城圍,葺其牆屋,桑果不得妄伐。恪入屯,儼然若新。而恪柴桑故屯,頗有毀壊,深以爲慚。
 後屢以征伐,功拝領軍大將軍、益州牧,尋遷西陵、樂郷、公安等諸軍事。因陳時宜於後主一十七條,而切言何定弄權,閹宦專政之事。鳳皇初,歩闡以西陵降晉,抗率諸將大破晉軍而梟闡首。修理城圍,東還樂郷,貌無矜色,故得將士歡心。
 時晉以羊祜爲荊州刺史,與抗鄰境。抗、祜推僑、札之好。抗嘗遣祜酒,飲之不疑。抗有疾,祜餽之藥,抗亦推誠服之。於時以爲華元、子反復見於今矣。尋加都督大司馬、荊州牧。鳳皇二年,就拝之。明年夏,病,上表勸益兵西陵,「西陵國之西蕃,若有不守,非但失一郡,則荊州非呉有也。如其有虞,當傾國争之。」至秋,遂薨,時年五十一。晏嗣。


 (陸)遜字伯言,呉人也。本名議,世爲江東大族,妻桓王女也。遜年二十,始仕幕府,歴東西曹令史,出爲海昌屯田尉,領縣事。海昌,今之鹽官也。時旱,遜開倉賑窮,百姓懐之。及帝統事,而遜策定山賊,帝用爲帳下都督。
 時會稽太守淳于式表遜枉法,擾亂人民。遜入,乃薦式爲佳吏,帝曰:「式表卿,卿何稱善?」對曰:「式意欲養民,是以白臣,臣更毀之,是亂聖聽。」帝以爲長者。
 後呂蒙卧疾,因上表,言遜意思深長,才堪負重,觀其規慮,終可大任,帝納之。累遷護軍、鎮西將軍,代呂蒙爲右部督,征關羽,尅公安,定南郡,封華亭侯,持節、揚州牧,多所辟舉。及帝定荊州,上表勸帝薦抜英異,以進南土人,深納其言。
 黄武初,大破劉備於馬鞍山,尋敗曹休於夾石,休發背死。遜還軍,振旅凱歌入武昌,帝授遜輔國將軍、郢州牧,改封江陵侯,勅左右以御蓋覆之,出入殿門,凡所賜與,皆御物上珍,羣臣莫比。嘉禾中,都護諸軍,與諸葛瑾等征襄陽,定安陸、石陽。及爲丞相,詔領揚州牧,都督如故。
 時帝寵魯王覇,欲廢太子和,遜上書諫曰:「太子正統,宜有磐石之固,以副至尊,不宜動揺,生惡人心。」表三四上,帝怒,以重臣未卽加法,使人責之,遜不勝憤恚而薨。性忠梗,出言無私,立朝肅如也。帝嘗以諸子委遜教誨。故建昌侯慮曾於堂前作鬭鴨欄,遜見責之,卽令毀除。學士南陽謝景與劉廙之談講以先刑後禮,遜引大義,訶之曰:「禮長於刑久矣!何以細辯而詭先聖之教,若此之論,不須講也!」左右失色。爲人素儉知足。時年六十三,死之日,家無餘財。


( )は自分の補足
陸遜・陸抗もあとで追加予定。なぜか陸凱の記述が無かったんだけど見落としたのかなー。

(10/15 水)陸抗を追加しました
(11/7 金)陸遜を追加しました

実録メモ(宗室)

 (朱)主字小虎,大帝次女,歩后所生,適朱據。初,全主譖王夫人并廃太子和,欲立魯肅王覇爲嗣,朱主不聽,全主恨之。及少帝即位,孫儀謀殺孫峻事覺,伏誅。全主因譖朱主,埋於石子崗。


 (孫)峻字子遠,武烈皇帝弟静之曾孫。父恭,位散騎常侍。峻少便弓馬,精果膽決。累遷侍中、武衛將軍,受遺與諸葛恪輔少帝。既誅恪,督中外諸軍事。滕胤以恪子竦妻父辭位,峻曰:「鯀禹罪不相及,滕侯何爲?」封胤爲高密侯。
 峻性驕矜,多所刑殺,奸亂宮室。與公主魯斑私通,而因孫儀事,用讒,害魯育公主。薨,時年三十八。

 (孫)綝字子通,與峻同祖,卽武烈帝弟静之玄孫,暠之後也。暠生二子:恭、綽。恭生峻,綽生綝。綝輔少主,奏請多見推詰,懼不自安。及救諸葛誕歸,便稱疾不朝,築室朱雀橋南,分遣諸弟入宿衛,欲樹諸黨,專朝自固。少主嫌之,因推孫峻殺朱主事,將欲誅綝。綝乃廢少主迎帝,遂乃肆意,侮慢人神,燒大航及伍胥廟,毀壊浮圖塔寺,斬道人。


( )は自分の補足
後でほかの人も追加しまー

(11/7 金)孫峻・孫チンを追加しました

2008年9月29日 (月)

実録メモ(東晋1)

 戴淵字若思,廣陵人。少遊侠,不拘操行。遇陸機赴洛,淵以其徒掠之。機見淵坐胡床,指撝便宜,知非常人。遂上舫屋上遥謂曰:「卿才器如此,何不學問取禄位,乃與羣小行刼耶!」淵因感悟,棄刀流涕就機。機賞異焉,入洛,薦之。
 及帝中興,累遷尚書左僕射,出爲幽、冀、豫、兗、并、雍六州諸軍事,鎮壽春。王敦舉兵,徴入,築壘於大桁北。既而石頭不守,遇害,時年五十二。賊平,追贈右光禄大夫。

 (紀)瞻字思遠,丹楊秣陵人。祖亮、父陟,皆呉三公。瞻少以方直知名。呉平,徙居歴陽。察孝廉,不行。尋舉秀才,爲司馬東閣祭酒。太安中,棄官歸家,與顧榮共討陳敏,徴爲尚書郎。
 中宗鎮江外,引爲軍諮祭酒,帝親往瞻宅,與同車而歸。加揚威將軍,拒石勒功,除會稽内史。時有詐爲將軍府吏収諸曁令拘之,瞻疑其偽,破檻出令,而訊問使者,果伏詐妄。
 及中宗踐位,累拝侍中,領尚書令,上疏諫諍,多所裨益,帝甚嘉其忠烈。因疾,上疏自責,因以疾免。尋除尚書左僕射,屢辭疾篤,還第,不許。上疏言郗鑒節操,今孤軍在鄒山,恐爲胡寇所獲,請朝廷徴還。
 及帝卽位,嘗獨引瞻於室,慨然憂天下,曰:「社稷之臣,無復十人。」因屈指曰:「君便其一也。」轉領軍將軍,當時服其嚴毅。雖恒疾病,六軍敬憚之。加散騎常侍。及王敦之逆,帝使謂瞻曰:「卿雖病,臥護六軍所益多矣。」賊平,自表還家,帝聽之,遣使就拝驃騎將軍,以家爲府,尋卒。追封華容子,封次子一人亭侯。
 瞻性静默,少交遊,而好仁義,有託後者皆爲立園宅。少與陸機善,及機遇害,瞻卹其家,成其男女,同其所生,立宅於烏衣巷,屋宇崇麗,園池竹林,自足賞玩焉。子景、鑒、並早卒。

 (顧)榮字彦先,呉人,世爲南土著姓。祖雍,呉丞相。父穆,宜都太守。榮機神朗悟,弱冠仕呉,累遷黄門侍郎。呉平,與陸機兄弟同入洛陽,時人號爲「三俊」。拝郎中,歴廷尉正。恒縱酒酣暢,謂友人張翰曰:「唯酒可以忘憂,但無如作病何。」及趙王倫簒位,以榮爲子虔大將軍府長吏。榮初與同寮飲酒,見執炙人貌狀不凡,榮因割炙反噉之。人問其故,榮曰:「豈有終日執之而不知其味!」及倫敗,將誅榮,前執炙者爲督率衆救榮,得免。
 齊王冏以爲大司馬主簿,榮懼禍及,終日昏醉,不惣府事。轉中書侍郎,在職不復飲醉。人或問曰:「何前醉而後醒?」榮懼,復飲酒。與郷里楊彦明書曰:「吾爲齊王主簿,常慮禍及,見刀與繩,毎欲自殺,但人不知耳。」後果拝常侍,以世亂辭不受。遂還呉,屬陳敏據揚州,假榮右將軍、丹楊内史。時敏使甘卓出鎮,堅甲利器盡委之。榮因説卓,以圖敏。明年,周玘、甘卓與榮及紀瞻等潛謀破敏。
 及瑯琊王睿初鎮江東,以榮爲軍司馬,加散騎常侍,凡所謀畫,皆以諮焉。多有匡諫,王皆納之。進薦賢良言「賀循等沈潛,青雲之士;而陸士光金玉之資;甘季思、紀瞻幹決殊絶」,王皆辟用之。卒官,王哭之慟,欲表贈依齊王功臣格。呉郡内史殷祐上牋論功,贈侍中、開府儀同三司。
 榮好琴書,及卒,家人置琴於靈座。呉郡張翰往哭之,既而上床鼓琴數曲,歎曰:「顧生復能賞此否?」又慟哭,不弔喪主而去。子毗嗣。


( )は自分の補足
顧栄、紀瞻あたりも後で追加する。

(10/5 日)紀瞻、顧栄を追加しました。甘卓と周玘と陳敏は後日。賀循は見落とした
(´・ω・`)

実録メモ(呉末帝関連)

 (滕)后諱芳蘭,太常滕胤族女。父牧,五官中郎將。帝爲烏程侯時納爲妃,及此拝后,封高密侯。後寵衰,何太后保護常供養昇平宮。天紀四年,随帝北遷,薨於洛陽。

 (孫)謙字公遜,太祖孫,故太子和次子,景帝封永安侯。

 (何)禎一名植,丹楊句容人,文皇太后弟也。后幼爲太子和妃,生後主。及和賜死,嫡妃張氏亦自殺。后曰:「若皆従死,誰當養孤?」遂撫後主及三弟。後主即位,尊爲昭獻皇后,尋改爲文皇太后,稱昇平宮。

( )は自分の補足

実録メモ(呉末期1)

 (濮陽)興字子元,陳留人。父逸,漢末避亂江東。興少有明理,太祖時,爲上虞令,遷尚書左曹。五官中郎將使蜀,還拝會稽太守。瑯琊王之在郡,興深相結。及王即位,徴爲太常衛將軍,封外黄侯。時嚴密建丹楊湖田,作浦里塘,公卿議不定,興以爲便,就之。遷丞相,與中軍督張布爲表裏。


 (王)蕃字永元,廬江人。博學多聞,自尚書郎去官,歸讀書。景帝即位,與賀邵入爲常侍。性切直,處朝謇諤,陸凱重之。時年三十九。


 (賀)邵字興伯,會稽山陰人。以奉公貞正,親近所憚,乃共譖惡於後主,而與樓玄同見殺,時年四十九。


 (華)覈字永光,呉郡武進人。起家爲上虞尉,以文學召入秘府。數以便宜利害事,進諫愛民省役,後主不納。累遷東觀令,領右國史。卒,時年六十。


 (歩)闡字仲思,丞相騭次子。以功封西陵亭侯,繼業督西陵。至是,後主徴入爲繞帳督。闡以累世在西陵,卒見徴命,自以爲失職,懼讒,乃不應召,據城降晉,使兄子璿往洛陽爲質。後主遣大將軍陸抗討擒之,夷三族。


( )は自分の補足
『呉志』とあまり変わらん。打ち終わった人から追加していく。

(10/13 月)歩闡を追加しました

2008年9月25日 (木)

建康実録メモ(追記)

ようやっと『建康実録』(中華書局)を見ることが出来た。見たかったところ全ては見られなかったけど、確かめたいと思っていたところはメモってきた。ほぼ呉末期ばかりだけど。東晋のあたりもじっくり読みたかった。

・滕后の諱は芳蘭。呉が平定されると孫晧に随って北遷し、洛陽で死去した
・元興元年冬10月、孫休の息子四人を王に封じ、礼を以て魯育公主を葬った
・孫謙の字は公遜
・歩闡の字は仲思
・韋昭は享年73歳
・天紀2年夏5月に華覈死去。享年60歳
・孫晧は呉が滅んで5年後に死去し、河南芒山に葬られた。滕后自ら哀策を作った(『滕后自爲哀策,文甚酸楚。』「滕后自ら(孫晧の)哀策を作り、その文は甚だ悲痛なものだった」という意味かな)
・顧栄は永嘉6年12月17日に死去?(『(永嘉六年=312年)十二月,散騎常侍顧榮卒』とあり、その少し後に『榮果至其月十七日卒』と書かれている)
・戴淵は享年52歳。322年に害に遇ったので生年は271年となる。若思の生年は、自分で『晋書』をざっと見た限りでは判断材料となる記述はなかった。実録では陸抗の享年が51歳と書かれていたりするから多少不安はあるんだが、そこら辺の年代の人ではあると思う

とりあえずここまでー。後で追記します。

(08.9.29 追記しました)

2008年1月25日 (金)

呉の人の書物

漢籍電子文献で『隋書』の志を検索して呉関係の人物のみ抜き出した+α。文字化けなどする箇所だけなおしただけで他はほとんど手を加えていない。(官職・名前)の官職は『隋書』に書かれていたもの。自分用にメモ。
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