その他

2019年11月21日 (木)

姻戚関係にあっても仲が良いとは限らない

姻戚関係にあるから仲が良い、はすべての人に当てはまるわけではない。

『晋書』華譚伝
戴若思弟邈,則譚女婿也。譚平生時常抑若思而進邈,若思每銜之。

 

「戴若思の弟・邈は華譚の娘婿だった。華譚はふだんから若思を抑えて邈を進めた。若思はいつもこれを銜んだ」

戴若思の弟は華譚の娘を妻にしており、この関係から華譚は義弟を優先したため、戴若思は華譚を恨んだという。
姻戚だからといって仲が良いとは限らないという晋代の一例。
こういう「縁戚だけど仲が悪い」という関係性の人たちが三国時代にもいたかもしれない。

というか、義理の親子兄弟になったからといって仲良しこよしになるわけじゃないのは現代でもそうなんだから、この二人が特別おかしいわけではないんだろうね。

なお、華譚も戴若思も広陵の人で、それぞれ父祖が呉に仕えていた。ただ呉の時代から両家に姻戚関係があったかどうかはわからない。なかったともいえないけれど記述がない以上はなんとも。


(この記事はツイッターで呟いたものをブログ用に一部加筆修正したものです。)

2019年9月16日 (月)

張春華と司馬榦

張春華は司馬懿の正室である。司馬懿の息子の中でも特に著名な司馬師・司馬昭は張春華が産んだ子だ。彼らほどの知名度はないものの、実は張春華は司馬懿との間にもう一人息子をもうけており、その名を司馬榦という。

司馬榦の生年は232年。長子である司馬師は208年生まれであるから24歳の時に誕生した弟ということになり、もはや息子といえるほどの年齢差である。
兄と弟の年齢が大きく離れているということは、生母の出産時の年齢も大きく離れているということ。
張春華の生年は189年。つまり、張春華が43歳のときに司馬榦は生まれたのである。

あの時代にこの年齢で無事(?)出産できた張春華はすごい。産後の様子が歴史書に記されるわけもなかろうが身体の負担は非常に大きく、相当大変だったろう。彼女の没年は247年だから一応産後の肥立ちが悪くて死去というわけではなさそうか。

三國無双や三国志大戦だと夫も恐れる冷酷な妻(暗黒微笑)なキャラ設定になっているけれど、個人的に張春華に対してそういうイメージはないな。若い妾を寵愛して妻を老者(おいぼれ)と面罵する司馬懿の方がインパクト強すぎて。でも張春華は43歳で出産しているわけだからなあ。何とも言えない。

その司馬榦の逸話として『晋書』に記される遺体に淫らな行いをしたという件。これは対象が愛妾であることと、亡骸が腐り始めたら葬ったことを考えると、屍に生前の面影が残るうちは恋慕を断ち切ることができなかったということじゃないかなあ。愛した人だから何度も顔を見に行った。未練があった。司馬榦にその手の性癖があったというわけではないかもしれない。