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2019年10月 5日 (土)

魯王孫覇は優秀だったか?

孫権の息子である魯王孫覇は優秀だったとする主張を見たことがある。論拠は是儀と楊竺の発言である。しかしながら、彼らの言葉をもって魯王孫覇の素質を論ずるのには疑義がある。


1.是儀の上疏
まずは是儀の発言について。

(『呉志』是儀伝)
南、魯二宮初立,儀以本職領魯王傅。儀嫌二宮相近切,乃上疏曰:"臣竊以魯王天挺懿德,兼資文武,當今之宜,宜鎮四方,為國藩輔。宣揚德美,廣耀威靈,乃國家之良規,海內所瞻望。但臣言辭鄙野,不能究盡其意。愚以二宮宜有降殺,正上下之序,明教化之本。"書三四上。

上に引いた是儀の上疏を見ればわかるが、是儀には太子と魯王について降殺(※1)があるべきで、上下の序を正したいという考えがあった。単に孫覇を買って出鎮させるよう求めるだけならば書く必要のない文言である。おそらく是儀の主張の本命はこちら「愚以二宮宜有降殺,正上下之序,明教化之本」の方なのだろう。
太子と魯王の上下を明確にする、そのための手段として孫覇を国の藩輔とする=出鎮させるように主張しているのがこの上疏なのである。

(※1)『廣漢和辞典』によると「降殺」とは、順さがりに減らすこと。太子と王が受けていた当時の待遇を指して、序列づけるように言っているのだろう。

是儀は太子と魯王のことで危機感を抱いた。だからこそ孫覇を外に出すことで火種を消そうと図ったのだ。彼にそうした目的があったと踏まえて考えると、是儀が本心から孫覇の才能を発揮できるように取り計らったととらえるのは早計である。
孫覇を中央から遠ざけるという目的を達成するために「孫覇は優秀だから」という建前を持ち出したというのが実際のところではないか。

これは孫慮のときに丞相・顧雍を初めとする臣下たちがとった行動と同じである。顧雍らも孫慮の才能を認めたというよりは、孫権の孫慮への偏愛や皇后問題などを勘案した結果として太子孫登の地位を守るために孫慮を中央から遠ざけたものと考えられ、是儀はそれにならったのかもしれない。
孫覇を中央から遠ざけることは、孫和の立場を守ると同時に孫覇の身を守ることにも繋がるのである。


2.楊竺の主張
もう一つは楊竺の発言だが、こちらは正史『呉志』ではなく裴松之注『呉録』に記される。

(『呉志』陸凱伝注引『呉録』)
権時見楊竺,辟左右而論霸之才,竺深述霸有文武英姿,宜為嫡嗣,於是権乃許立焉。

楊竺についても是儀と同様、目的のための発言であると考えられる。
楊竺には孫覇を嫡嗣にするという目的があった。その目的達成のために孫覇には才能があるとして孫権を説得しようとしたのであり、本当に才能があったかどうかはこの発言をもって断定することはできない。

またこの記事の孫権の様子からして、孫権自身が孫覇を優秀であると考えていたとは言い難いように思う。はっきりと息子の才能を見抜いて評価していたならば、なぜ他人と議論する必要があるのだろう? 孫慮のときは、孫権自ら息子に才能があるとして可愛がった。ところが『呉録』のこの話からはそうした主体性が感じられない。
孫権としては孫覇の才を評価しかねて迷っていたのだろう。だからこそ楊竺は「孫覇は優秀だから」と強く主張したのである。そう言わなければ孫権に決断してもらえないと思ったのではないか。


3.まとめ
以上のことから、是儀や楊竺の言葉をもって魯王孫覇が優秀であったと決めつけるのは安易であると考える。
みなそれぞれに目的があった上で、目的を達成するべく孫覇を持ち上げた。そしてそれに乗ったのは他でもない孫覇自身だったのだろう。

ついでなので孫覇について述べたもう一人の人物、裴松之の言葉を以下に引用する。

(『呉志』孫和伝裴松之注)
和旣正位,適庶分定,就使才德不殊,猶將義不黨庶,況霸實無聞,而和爲令嗣乎?

(下線部:ちくま訳では「ましてや孫覇にはなんの良い評判もなかった」とある)

裴松之は後世の人間であり孫覇本人と面識があるはずもない。とはいえ正史のみならず多数の野史にも目を通した人物による評価であるため、意見の一つとして付け加えておく。


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