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2019年10月

2019年10月27日 (日)

呉帝・孫峻と皇后・孫魯班

『魏志』毌丘検伝裴注に引く『魏書』の「遂得入吳,孫峻厚待之」という部分について、ちくま訳の第4巻該当箇所では「かくて呉に入ることができ、〔呉帝の〕孫峻に厚遇された」と訳されている。
おそらく第4巻は『呉志』ではないということから、孫峻がどういう立場の人物だったかを補足しようとしてくれたのだろう。
それがなぜか呉帝になってしまった(笑)

孫峻は呉の帝ではないからこれは誤りではあるのだけれど、別にそれを非難するためにここで取り上げるわけではない。逆に、そう思われるような立場の人ではあったのかもなあと思う。
そして、「呉帝」孫峻ならば腑に落ちる記述が『呉志』にある。その点について覚書として簡単に書いておく。

(『呉志』孫峻伝)
峻素無重名,驕矜險害,多所刑殺,百姓囂然。又姦亂宮人,與公主魯班私通。


孫峻は権力を持つようになると宮人を姦乱し、公主の魯班と私通したという。
この記述、孫峻が呉帝であれば納得がいく気がする。なぜなら皇帝が宮人に手をつけるのは当たり前だから。

さらに孫魯班は、全夫人を積極的に孫権にすすめたいわば後見人。まだ幼いと思われる皇后・全氏に代わり皇后代理として後宮をおさめていたのではないだろうか。

皇帝と皇后は夫婦なのだから、男女の関係があっても何の不思議もないのである。

孫峻伝の記述はそういうことだったんだね。きっと孫魯班は母親の歩夫人にならって呉帝・孫峻に宮人を多く推進したのでしょう。


皇后・孫魯班の雲行きが怪しくなるのは呉帝・孫峻が崩御なさってから。なんと跡継ぎが二人も現れて、権力争いをするようになってしまったのだ。
跡継ぎの一人は孫亮、もう一人は孫綝。
皇后代理・孫魯班は弟の孫亮を支持し、ライバル孫綝の縁者である朱熊・朱損の殺害などを画策していく。

忘れてはならないのは、孫魯班はあくまで皇后代理であって、実際に皇后の座にいるのは全夫人という点である。
皇后が幼い時分には後見人として権勢をふるうことのできた孫魯班だったが、皇后が成長するにつれ不安を抱くようになっていった。この娘ははたして自分を尊重するのだろうか、と。
なぜなら皇后・全氏は孫亮の妃でありながら、彼と敵対する孫綝の従姉の娘でもあったからだ。

(『呉志』孫綝伝)
孫綝字子通,與峻同祖。(中略)亮內嫌綝,乃推魯育見殺本末,責怒虎林督朱熊、熊弟外部督朱損不匡正孫峻,乃令丁奉殺熊於虎林,殺損於建業。綝入諫不從,亮遂與公主魯班、太常全尚、將軍劉承議誅綝。亮妃,綝從姊女也,以其謀告綝。


(『呉志』妃嬪伝全夫人の条)
孫亮全夫人,全尚女也。(尚)從祖母公主愛之,每進見輒與俱。及潘夫人母子有寵,全主自以與孫和母有隙,乃勸權為潘氏男亮納夫人,亮遂為嗣。


(『呉志』妃嬪伝朱夫人の条)
建興中,孫峻專政,公族皆患之。全尚妻即峻姊。故惟全主祐焉。(中略)太平中,孫亮知朱主為全主所害,問朱主死意?全主懼曰:「我實不知,皆據二子熊、損所白。」亮殺熊、損。損妻是峻妹也,孫綝益忌亮,遂廢亮,立休。


孫峻と孫綝は祖父を同じくする従兄弟(いとこ)である。
全尚の妻は孫峻の姉である。全夫人の母親は孫綝の従姉である。
朱損の妻は孫峻の妹である。すなわち朱損の妻は全尚妻=全夫人母と姉妹であり、孫綝の従姉にあたる。


孫峻のときは孫魯班自身が孫峻と私通していたので立場は安定し、孫亮も幼く孫峻との権力争いには至らなかった。
しかし、孫峻が死んで孫綝が実権を握ってからは状況が変わる。
まず、孫綝と孫魯班には私的なつながりがなかった。少なくともそうとれる記述は見られない。さらに孫亮が成長したことにより、孫綝との間に確執が生まれたのである。

他方、孫亮が成長すると共に、全夫人もまた成長していった。
幼い頃から全夫人を可愛がり後見人的立場となった孫魯班だったが、孫亮と孫綝が対立するようになると雲行きは怪しくなっていく。全夫人の母親は孫綝の従姉だったからである。

成長した全夫人が実の母と後見人の孫魯班を天秤にかけた場合、どちらを重んじるか。
孫綝に権力が集中すれば自身の立場が脅かされる危険性があると孫魯班は考えたのだろう。

こうしたことから、孫亮が成長したこと、自身が孫綝と親密な関係を築けていないことを考慮して、孫魯班は実弟の孫亮へ積極的に関わるようになっていった。
孫亮が孫綝の一族の力を削ごうとするのは、立場を保持しようとする孫魯班にとっては得なことだったといえよう。朱熊・朱損殺害もそんな対立構造の中で起きた事件と思われる。そしてこのとき殺された朱損の妻こそが孫綝の従姉、すなわち全夫人の母親の姉妹だった。

『呉志』妃嬪伝朱夫人の条によれば、孫峻の妹を妻にもつ朱損が殺されたことで孫綝は孫亮を忌んだという。
ならば、朱損の妻の姉妹である全夫人の母親の感情は? 孫亮のみならず、事件に関わっていた孫魯班をも恨んだとしても不思議ではない。そして、母の感情が娘である皇后・全氏に影響を与える可能性は否定できないのである。

もはや皇后・全氏との関係が良好に保てるかどうかも楽観視できない状況になっていた。
だから孫魯班は孫亮の孫綝誅殺計画にも関与した。これにより孫亮政権における自身の影響力を強めようと意図したのだろう。孫綝の誅殺が成功すれば、孫亮は協力者を厚遇するはずだからだ。

結局この計画は成功しなかった。
事情を知った全夫人母が孫綝に密告したためである。結果、孫亮は廃されて孫魯班は都から追放されたのだった。

孫亮と孫綝の仲が険悪になるにつれて、全夫人を通してその母と孫魯班もまた水面下で対立していった、かもしれない。

2019年10月 5日 (土)

魯王孫覇は優秀だったか?

孫権の息子である魯王孫覇は優秀だったとする主張を見たことがある。論拠は是儀と楊竺の発言である。しかしながら、彼らの言葉をもって魯王孫覇の素質を論ずるのには疑義がある。


1.是儀の上疏
まずは是儀の発言について。

(『呉志』是儀伝)
南、魯二宮初立,儀以本職領魯王傅。儀嫌二宮相近切,乃上疏曰:"臣竊以魯王天挺懿德,兼資文武,當今之宜,宜鎮四方,為國藩輔。宣揚德美,廣耀威靈,乃國家之良規,海內所瞻望。但臣言辭鄙野,不能究盡其意。愚以二宮宜有降殺,正上下之序,明教化之本。"書三四上。

上に引いた是儀の上疏を見ればわかるが、是儀には太子と魯王について降殺(※1)があるべきで、上下の序を正したいという考えがあった。単に孫覇を買って出鎮させるよう求めるだけならば書く必要のない文言である。おそらく是儀の主張の本命はこちら「愚以二宮宜有降殺,正上下之序,明教化之本」の方なのだろう。
太子と魯王の上下を明確にする、そのための手段として孫覇を国の藩輔とする=出鎮させるように主張しているのがこの上疏なのである。

(※1)『廣漢和辞典』によると「降殺」とは、順さがりに減らすこと。太子と王が受けていた当時の待遇を指して、序列づけるように言っているのだろう。

是儀は太子と魯王のことで危機感を抱いた。だからこそ孫覇を外に出すことで火種を消そうと図ったのだ。彼にそうした目的があったと踏まえて考えると、是儀が本心から孫覇の才能を発揮できるように取り計らったととらえるのは早計である。
孫覇を中央から遠ざけるという目的を達成するために「孫覇は優秀だから」という建前を持ち出したというのが実際のところではないか。

これは孫慮のときに丞相・顧雍を初めとする臣下たちがとった行動と同じである。顧雍らも孫慮の才能を認めたというよりは、孫権の孫慮への偏愛や皇后問題などを勘案した結果として太子孫登の地位を守るために孫慮を中央から遠ざけたものと考えられ、是儀はそれにならったのかもしれない。
孫覇を中央から遠ざけることは、孫和の立場を守ると同時に孫覇の身を守ることにも繋がるのである。


2.楊竺の主張
もう一つは楊竺の発言だが、こちらは正史『呉志』ではなく裴松之注『呉録』に記される。

(『呉志』陸凱伝注引『呉録』)
権時見楊竺,辟左右而論霸之才,竺深述霸有文武英姿,宜為嫡嗣,於是権乃許立焉。

楊竺についても是儀と同様、目的のための発言であると考えられる。
楊竺には孫覇を嫡嗣にするという目的があった。その目的達成のために孫覇には才能があるとして孫権を説得しようとしたのであり、本当に才能があったかどうかはこの発言をもって断定することはできない。

またこの記事の孫権の様子からして、孫権自身が孫覇を優秀であると考えていたとは言い難いように思う。はっきりと息子の才能を見抜いて評価していたならば、なぜ他人と議論する必要があるのだろう? 孫慮のときは、孫権自ら息子に才能があるとして可愛がった。ところが『呉録』のこの話からはそうした主体性が感じられない。
孫権としては孫覇の才を評価しかねて迷っていたのだろう。だからこそ楊竺は「孫覇は優秀だから」と強く主張したのである。そう言わなければ孫権に決断してもらえないと思ったのではないか。


3.まとめ
以上のことから、是儀や楊竺の言葉をもって魯王孫覇が優秀であったと決めつけるのは安易であると考える。
みなそれぞれに目的があった上で、目的を達成するべく孫覇を持ち上げた。そしてそれに乗ったのは他でもない孫覇自身だったのだろう。

ついでなので孫覇について述べたもう一人の人物、裴松之の言葉を以下に引用する。

(『呉志』孫和伝裴松之注)
和旣正位,適庶分定,就使才德不殊,猶將義不黨庶,況霸實無聞,而和爲令嗣乎?

(下線部:ちくま訳では「ましてや孫覇にはなんの良い評判もなかった」とある)

裴松之は後世の人間であり孫覇本人と面識があるはずもない。とはいえ正史のみならず多数の野史にも目を通した人物による評価であるため、意見の一つとして付け加えておく。


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