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2008年3月 9日 (日)

賀循+α

『晋書』賀循伝
賀 循 字 彦 先 , 會 稽 山 陰 人 也 。 其 先 慶 普 , 漢 世 傳 禮 , 世 所 謂 慶 氏 學 。 族 高 祖 純 , 博 學 有 重 名 , 漢 安 帝 時 為 侍 中 , 避 安 帝 父 諱 , 改 為 賀 氏 。

 

(超てきとーな訳)
賀循は字を彦先といい、会稽山陰の人である。その祖先の慶普は漢の世に礼を伝えた。世に言う所の慶氏学である。族高祖の賀純は、博学で重名があり、漢の安帝の時に侍中となった。安帝の父の諱を避けて、姓を改めて賀氏とした。

慶普は戴徳・戴聖と共に后蒼から学んだそうだ。よく知らない(^ ^;
これを見て思ったのだが、賀斉は活動時期が時期だけに武将として活躍しただけで、元来は高い教養のある人なんだろうか。
賀斉の孫の賀邵については次のような記述があった。

 

『晋書』儒林伝
范 平 字 子 安 , 呉 郡 錢 塘 人 也 。 其 先 銍 侯 馥 , 避 王 莽 之 亂 適 呉 , 因 家 焉 。平 研 覽 墳 素 , 遍 該 百 氏 , 姚 信 、 賀 邵 之 徒 皆 從 受 業 。 呉 時 舉 茂 才 , 累 遷 臨 海 太 守 , 政 有 異 能 。 孫 皓 初 , 謝 病 還 家 , 敦 悅 儒 學 。 呉 平 , 太 康 中 , 頻 徴 不 起 , 年 六 十 九 卒 。 有 詔 追 加 諡 號 曰 文 貞 先 生 , 賀 循 勒 碑 紀 其 德 行 。 三 子 : 奭 、 咸 、 泉 , 並 以 儒 學 至 大 官 。

 

范平という人物のもとで姚信や賀邵らは学業に励んでいたらしい。学んだのは主に儒学だろうか。
さらに賀邵の子の賀循は太常に任ぜられ、「朝 廷 疑 滯 皆 諮 之 於 循 , 循 輒 依 經 禮 而 對 , 為 當 世 儒 宗 。」当世の儒宗とされたとある。へー。

ちなみに姚信については、陸雲が「與平原書」の中で「姚公のことは儒林伝に書けば良いのではないか」と述べている。この姚公が姚信を指すと判断して良いのならば、儒林伝にとあること、呉の時に太常になっていることから、儒学に通じた人なのだろうと思う。当時の人はだいたいそうだろうけど。


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